「ニコニコ」の謎


昔ながらの山梨市の風景がほとんど残存しているのは小原西から亀甲橋大嶽山に至る通り沿いです。

大嶽山から見た小原地区の風景

子供心に懐かしいのは天真堂の本屋さんでやや建物を拡張したものの昔の面影がそのまま残っています。また未だにラジコンや模型好きの方の好奇心をひきつけるのは「ニコニコ」こと窪田文具店です。なぜこの店を「ニコニコ」と呼ぶのかは不明ですが私の父もそう呼んでいましたので2世代に渡って語り継がれた呼び名です。「ニコニコ」の謎をご存知の方レス下さい。

「ニコニコ」はラジオ少年の私がはじめて自分で作って完成させたラジオのキットを買った店です。これが全ての原点となって無線やパソコンの趣味に発展したことを考えるとまさに原点です。

大嶽山のおまつりは毎年4/29で私も山梨市にuターンしてからというもの欠かさず足を運んでいます。大嶽山の頂上にほこらがありますが、これはほとんど昔のまま残っています。このほこらには鐘楼を自動的に定時に鳴らす機械仕掛けが設置されていました。小学生時代、からくり儀衛門や赤堂鈴の助の忍者が乗っていたからくり船などに興味があった私はその機械仕掛けに惹かれました。先日足を運んでみましたが残念ながらその機械仕掛けは故障してさびついていました。私はこの鐘楼が鳴るのを実際には聞いたことがありません。一度でいいからこの機械仕掛けが動いているのを見たかった私です。

大嶽山山頂にはお堂と鐘楼がある

鐘楼を鳴らす機械仕掛けの残骸

私は山梨市でも南ブロック(給食の献立の懐かしい言葉ですが今も使われています)の育ちですので小原地区のことは今ひとつ詳しくありません。いろいろご存知の方教えてください。

(fatty_ameさんからご投稿いただきました。ありがとうございました。)

以前、本サイトに山梨市小原の窪田文具店、通称「ニコニコ」について、その名の由来が謎である旨の記載がありましたが、先日山梨市在住の我が悪友連中に聞き取り調査したところ、何故「ニコニコ」と言うかについて、ひとつの説が浮かび上がってまいりました。悪友氏によれば、「窪田文具店のおばさんが、いつ何時でも常にニコニコとしているから ・・・。」というのがその理由であるとのこと。当局といたしましてはもうひと捻りした 答えを期待していただけに意外という感がしてなりません。どなたかこれ以外の説を御存 知でないでしょう か?