無線クラブAGCの旧メンバーの方へ


AGCはそもそもは山梨県峡東地区出身のラジオ少年が集い昭和53年に組織された無線クラブでした。もともとは山梨南中学校無線部(JH1ZDG)のOB会として発祥し、日川高校無線部(JA1YMR)に南中卒業後入部したメンバーが峡東地区から広くメンバーを集めて一時は30名を越えるラジオ少年の集まりとなったクラブです。

昭和57−58年にはアンドゲートクラブは無線コンテストに燃えるクラブでした。このころより、クラブ対抗はメンバー個人の点数を合計するという方法で行われたため、コンテストマニアが集まり、最高でフィールドデーコンテスト個人局マルチバンド電信電話全国2位という成績をおさめたメンバーもいました。このコンテスト参加によりメンバーは同窓会的なものから、本当に無線好きのメンバーに変わってきました。

昭和60年には無線中継装置レピーター開局ラッシュの時期で、アンドゲートクラブは、レピーターの自作に乗り出しました。現在は閉局してしまいましたが山梨県塩山市(後に田富町に移転)の430レピーターを自作しました。この430レピーターは昭和61年の八ヶ岳での 山岳遭難の救助に貢献し表彰されるなど輝かしい名誉を受ける事となりました。又このころからアンドゲートクラブのメンバーは休日深夜になるとでかける癖がつきこれは深夜徘徊という名のもとに毎週週末になれば国道20号線沿いのファミレスに意味も無く集合し、おたく的ミーティングを開催するようになりました。

しかしながら、平成元年のころにはメンバーが就職転職でちりじりになり、活動しようにも活動できないアンドゲートクラブの暗黒時代を迎えました。そんななかでも平成4−5年には集合住宅でも可能な1200MHzでコンテストに参加し入賞するメンバーや、早速山梨県にユーターン就職して無線を再開したメンバーや、おりしも携帯電話の普及期となり全国均一料金の割安な携帯同志の通話でトランシーバーごっこをするメンバーもいました。しかし平成9年にはインターネット全盛の一方でアマチュア無線人口は減少の一途をたどりメンバーもほぼ消滅に近い状態になってしました。

設立当初は21.400MHzで毎日曜スケジュールを組んでいました。その後145.34MHzにQSYしましたが、あるトラブルで53.5MHzにQSY。その後430レピーター(439.68MHz)から433.70MHz最終的には431.86MHzが連絡周波数になっていました。

AGCの生い立ちや上記の周波数、コールサインに見覚え、聞き覚えがある方、是非掲示板などにメッセージを下さい。貴方がインターネットでこのホームページにたどり着く日を首を長くして待っている旧友達がいます。

ご連絡いただいた旧メンバーの方々にはいにしえの無線バージョンのAGC−WEBなどが掲載されているメンバー限定ページをご案内しております。